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■藩政時代、殿さまの奨励と支援を受けた工業や文化は、今日まで永く受け継がれています。香川県では漆器の伝統技法などがその類です。香川の漆器は歴史の古さよりも、質も量も旧藩の保護と理解のもとに発展し、幾多の名工を生み、巨匠をだしています。そして、昭和24年には商工省から重要漆工集団地として指定され、また51年2月には、漆器のうち「蒟醤、存清、彫漆、後藤塗、象谷塗」が四国では初めて国の伝統的工芸品の指定を受けました。数字でみますと、高松を中心にした香川の漆器は年産約250億円、中央展に入賞、入選クラスの漆芸作家は70余名、組合員約70社、漆器関係の従業員数約2000名、販路は北海道から沖縄まで、というように文字通り漆器王国を誇っています。古来、香川は芸術的な環境と天分に恵まれていたとはいえ、漆器をこれほどまでに開花させたのはやはり茶や花を愛した殿さまのおかげでしょう。寛永15年(1638)水戸の国から松平頼重公が高松へ入封、漆器や彫刻をすすめ、名工を育てたが注目されるのは玉楮象谷であります。
玉楮象谷は、文化3年(1806)、高松市の鞘塗師、藤川理右衛門の長男として生まれ、20歳で京都へ遊学しました。京都では塗師、彫刻師、絵師らと交友を深め、豪放磊落、多彩な才気にみちた象谷翁は、明時代の存清、蒟醤、紅花緑葉など中国伝来の漆塗技法の新しい分野を開拓しました。象谷翁は、明治2年64歳で亡くなるまで3代の藩主に仕え、今日の漆器の始祖といわれるすばらしい作品を数多く残しています。市内中央公園には象谷翁の銅像があります。また、高松藩士、後藤太平は、渋味のある漆塗柄を研究し、下絵についた塵の文様にヒントを得て、のちに”後藤塗”といわれる塗手法を創案しました。これらの大先輩によって、開発完成された香川の漆器の伝統を継承し、さらに発展の功労者としては、重要無形文化財蒟醤技術保持者になった故磯井如真や故音丸耕堂(重要無形文化財彫漆技術保持者)の活躍など、多くの巨匠を育ててきました。これらの技法は、漆器組合はむろん香川県立漆芸研究所でも若い人達の育成につとめており、伝統技法の保存と発展に努力しています。
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| 玉楮象谷翁 |
高松城(玉藻城)
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