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蒟醤(きんま)について

香川漆芸の代表である蒟醤は、タイ国の植物の実の名称だといわれ、何回も塗り重ねた上にケンで文様を線彫りしてそのくぼみに色漆を象嵌する技法で、漆の面を彫るという点では、沈金と変わらないようですが、朱漆、黄漆の色ごとに彫りあげ充填させる作業を繰り返し、全部の充填が終わると表面を平らに研ぎ出すといった独特の技法です。

蒟醤(きんま)

​繊細な線模様に息づく漆芸の技とこころ

「蒟醬」の起源はタイ、ミャンマーにあり、室町中期にわが国に伝来されました。蒟醬は何回も塗り重ねた中塗の上面を刀(ケン)で文様を線彫りして、そのくぼみに色漆を充填する技法です。漆の面を彫るという点では沈金と似ていますが、朱漆、黄漆など色ごとに彫り上げ充填する作業を繰り返し、全ての充填が終わると表面を平に研ぎ出す独特の技法です。香川漆器の先駆者 玉楮象谷が完成させたキンマ技法は、弟の藤川黒斎が受け継ぎ、香川のキンマ漆器の技として、確立しました。昭和30年に故 磯井如真が蒟醬の技術保持者として人間国宝に認定されて以来、香川から磯井正美、太田儔、そして新たに山下義人が認定され、4人の人間国宝を排出しています。現在、蒟醬の技法を生かした作品は日展や伝統工芸展などに数多く出品され、美と技を競っています。

蒟醤は

キンマは胡椒科に属する蔓性の薬草です。乾燥させた葉は漢方で蒟醬葉と呼ばれ、健胃剤や扶痰剤として用いられてきました。中国では「蒟醬(きんま)」と書いて「チュイチャン」と発声され、その実に対し「蒟醬」という漢字が古くから使われていました。キンマの起源はタイやミャンマーにあり、現地ではキンマの生葉を檳榔樹(ヤシに似た樹木)といっしょにかむ、「キンマーク」と発音する習慣があり、それがやがて、それらを入れる容器に施した線刻文様を指す呼称となったようです。
このキンマがわが国に渡来したのは室町時代中期。倭寇がタイやミャンマー、中国(四川、雲南地方)から古陶茶器、香合などとして持ち帰ったのが最初とされています。日本に入ってきたキンマは南方渡来の一品として珍重され「利休茶会記」の中の「蒟醬」の記述を採っても茶人に愛用されていたことが見てとれます。これが後に玉楮象谷によって技法を研究されるわけですが、天保四年にわが国ではじめて作られたものには、まだ「紅毛彫」「金馬」と書かれていました。玉楮象谷がはじめて「蒟醬」野路を使った作品は、藩命による「蒟醬塗料紙箱並硯箱」で現在、国の重要美術品に指定されています。その後、象谷が完成させた日本独自のキンマ技法は弟の藤川黒斎が受け継ぎ、香川のキンマ漆器の技として確立。以後、二代蘭斎、三代黒斎も数多くの名品を残しました。

蒟醤の技法

藍胎(竹ひごで編んだ素地)や指物、挽物、刳物を素地に布着せ、堅地をつけ、その上に漆を塗り重ねて乾燥後、ケン(特殊な彫刻刀の一種)で模様を彫ります。凹部に色漆を埋め込み、研ぎ炭で平らに研ぐことにより余分な色漆を除き、意図した模様を表現します。
彫りには線彫りや点彫りなどがあり、漆の面を彫って充填する点では「沈金」の技法と似ていますが、沈金が文様を全て彫った後に彫りくぼみに緊迫や金粉を真綿で押し込むのに対し、蒟醬は埋める色漆ごとに彫り、充填させる作業を繰り返します。全ての充填が終わると表面を平らに研ぎ出すという香川独自の技法です。

蒟醤(きんま)の断面図01
蒟醤(きんま)の断面図02
蒟醤(きんま)の断面図03
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