存清(ぞんせい)について

存清の技法は、東南アジアに起こり、中国へ移り、日本へは室町中期に伝えられたとされ、黒地・赤地・黄地などの漆面に色漆で絵を描き、その輪郭部や漆絵の主要部分をケンで線彫りし、細部は毛彫りして仕上げる技法です。文庫、茶櫃、丸盆など、調度品や生活用品として人気があります。

漆絵の輪郭に施した毛彫りの陰影が雅趣を深めます

存清漆器は室町中期に中国から伝わりました。当時は船来の珍品として一部の貴族の間で愛好されていましたが、江戸天保年間、玉楮象谷が中国の古い技法を研究し、日本的な存清漆器を作り出したのです。象谷は中国の名工「存清」の名をそのまま名称にしました。存清の技法は、黒地、赤地、黄地などの上面に色漆で絵紋様を描き、その図の輪郭を毛彫りしたり、金泥で隈取りするものがあります。明治の初期、玉楮象谷の実弟、藤川国斎の手で産業化され、明治25年頃から末期にかけてヨーロッパへも輸出され、香川は漆芸王国として全国に知られるようになりました。

存清とは

中国の元から明時代にかけて活躍した彭君王、存清の姓名を技術の名称にしたと伝えられています。当時の豪族達は競って室内を華麗に装飾し、室内の調度品の多くに存清塗が施されていたようです。我国に渡来したのは室町時代中期。当時流行した茶会と結びつき、茶人や遊芸人の間で珍重愛玩されていましたが、それはあくまでも舶来の珍品としてであり、日本でその制作を志すものはいなかったようです。しかし、江戸時代後期、中国伝来の存清漆器の魅力に触れた玉楮象谷が中国の彭君王、存清の技法を究明。日本古来の髹漆法を加味して日本的な存清塗をつくり上げます。明治に入ると、存清を始め、南方渡来の蒟醤、彫漆など数々の名品を残した象谷のあとを受け継いだ実弟、藤川黒斎が漆芸を産業化。明治25年頃~40年頃にはアメリカやイギリスへも輸出され、香川の存清漆器の名が世に広まったのです。昭和27年には文化財保護委員会より、故磯井如真に蒟醤、故香川宗石に存清の技術工程記録を制作する委嘱があり、完納までに2年近くの歳月がかけられました。その功績が認められ、故香川宗石は昭和37年、香川県重要無形文化財、存清の技術保持者に認定されました。

存清の技法

漆を塗り重ねた表面を筆で色漆の模様を描き、漆が乾いた後、模様の輪郭を剣(存清専用の彫刻刀)で線彫りしたり、彫りくぼみに金粉や金箔を施す方法です。
存清には大別して3つの手法があります。
1.模様の輪郭を細く毛彫りしたままのもの。
2.模様の輪郭や細部を線彫りし、彫り口に金泥を埋めたもの。
3.模様の輪郭を金泥で骨描き式に筆で線描きしたもの。

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